映画「ファヒム パリが見た奇跡」公式サイト » INTERVIEW

本人インタビュー
ファヒム・モハンマド
Fahim Mohammad

チェスは常に、僕の生活の中心にありました。僕に起きたことは、いいことも悪いことも、ほとんど全てチェスが原因です。6歳の時にバングラデシュで命に危険が及んだのは、僕がチャンピオンになったことへの妬みのせいでした。一方で、父と僕がフランスで身分証を取得できたのは、チェスのトーナメントで勝ったからです。チェスのおかげで人生と自由を手に入れることができ、僕の半生を語る本が出版され、僕の名前が冠された映画ができたのです。

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 想像もしていなかったことです。これまで経験してきたことは、何も持たずに母国を出たときに僕が考えていたことを遥かに超えていることは確かです。

 ただ、“Un roi clandestine”(ファヒムの書籍/「もぐりの王様」という意味)が僕の人生を変えたかどうかと聞かれたら、「いいえ」と答えます。僕の人生を変えたのは、12歳以下のチェスのフランスチャンピオンのタイトルと、その後の多くの出会いです。次にフランスの身分証を取得したこと。書籍には、路上で生活する亡命者や移民に対する世間の目を変えたいという想いが込められています。

 書籍をベースに映画を作ると聞いたときには驚きましたが、特に感動はしませんでした。連絡があった当時はまだ14歳で、それがどういうことを意味するのか、いまいち分かっていなかったんです。小さなドキュメンタリーを作るんだろう、と勝手に想像していましたが、まさか、こんなに規模の大きな映画だとは思ってもいませんでした。

 映画を観たときは感動しましたが、同時に少し奇妙な感じでした。すべて、僕が経験してきたことなのですが、自分のことのように思えませんでした。物語は大枠において僕のものですが、映画のファヒムは僕そのものというわけではなかったからでしょうか。適応や教育のシーンは、当時のことを思い出しました。例えば、ナイフとフォークを使って食事をする練習や約束の時間に遅れて怒られるシーンなどです。時間に遅れるのは、残念ながら今でもあまり直っていません(笑)。

チェスクラブや学校の友達の家にファヒムが招かれるシーンにも思い当たることがあります。似たような温かい経験をしてきました。ジェラール・ドパルデューが演じる僕のチェスの先生、グザヴィエ・パルマンティエとも同じような経験をしました。グザヴィエはとても寛大な人で、僕は、何ヶ月もの間彼のチェスクラブでゆっくりと眠らせてもらいました。このエピソードは映画の中にはありませんが、グザヴィエの優しさと父性はしっかりと伝わると思います。

 当然ながら、映画にするうえで必要な“フィクション化”されたシーンについては、自分から遠く感じました。例えば、父と僕は他のバングラデシュ人とテント村のようなところでコミュニティを作って暮らしたことはありません。でも、そういう細かいことは問題ではなく、僕の人生の基本的なことは『ファヒム パリが見た奇跡』で語られていますし、この映画をとても好きです。映画がすべて僕の実体験通りだったら、困惑して嫌気がさしていたと思います。

 僕の父はとても慎重で秘密の多い人です。自分の立場を隠すためならなんでもしていました。僕を守りながら、僕からは離れているフリをしていたんです。フランスでの最初の数年間は父にとって地獄のようでした。政治亡命の申請を拒否された時、父は路上生活を始めました。仕事もなく、身分証もありませんでしたが、僕をチェスクラブに連れて行き、見つかるかもしれないリスクを冒しながら何時間も待っていました。

父は僕よりもずっと辛い思いをしていましたが、不平不満を言っているのを聞いたことはありません。僕には友達がいて、彼らと話し、彼らの家に泊まり、チェスをプレーしていました。逃げ場があったんです。父は何日もの間、何もせずに過ごし、誰とも話さず、そのためにフランス語も上達しませんでした。僕は父が大好きで尊敬しています。バングラデシュで子どもの僕をチェスのトーナメントに連れて行ってくれたのも父でした。命の恩人でもあり、すべては父のおかげです。

映画では、ファヒムに対する父親の愛情をとても感じることができるので、とても満足しています。僕自身が、ここ数年間父に対する愛情表現をできていなかったことを取り戻せたような気がしています。

 この映画がどのような運命を辿るのかは分かりません。書籍同様、移民に対する世間の目を変えることに貢献してくれることを願っています。僕よりも辛い思いをした人もいます。映画では、悲惨なことだけではなく美しいことも語られているので好きです。最終的には、みんなが困難を乗り越えます。

また、チェスが頭脳的ではなく冒険的なゲームとして描かれているところも好きです。チェスを知らない人にも楽しんでもらえると思います。

 (2019年に)バカロレア(高校卒業試験)に合格して、商業学校に入学しました。資産管理か国有財産の管理の仕事をしたいです。

 人々の期待には反しますが、人生全てをチェスに捧げようとは思っていません。何人かの偉大なチャンピオンのように正気を失いそうで怖いからです。だから、数ヶ月前にチェスの練習を休むことにしました。段階的に再開するつもりではいますが・・・。

 今、僕は落ち着いています。路上で寝ていた頃のことを考えることもなくなりました。前に進みながら生きようとしています。

 フランスには残りたいと思っています。僕を受け入れてくれた国に感謝していますし、父も息子の名前を冠した映画ができたことをとても誇りに思い、感謝しています。

現在のファヒムの状況

2019年で、フランスに入国してから11年が過ぎたものの、ファヒムも父親も未だにフランス国籍を取得できてはいません。

18歳になるまで、ファヒムは、他の外国籍の子どもたちと同じように滞在許可証を持つことができませんでしたが、19年に成人となり、ようやく取得できました。しかし、最初の滞在許可証の有効期限はたった1年です。ファヒムの父親の滞在許可証は4年間有効のものに更新されました。

滞在許可証があればフランスで就労でき、国外旅行も可能です。ファヒムは入国からずっとフランスを離れる権利がなかったので、大きな一歩であることは確かです。しかし、フランス国籍を取得するにはさらに5年が必要です。